「ミスター麻雀」こと「小島武夫」さんが、2018年5月28日に心不全のため、亡くなってしまいました。日本プロ麻雀連盟が5月31日、発表した。享年82歳だった。日本プロ麻雀連盟初代会長、最高顧問で九段。
多くのテレビ番組に出演していることから知名度もあって人気でした。阿佐田哲也・古川凱章らと「麻雀新撰組」を結成したことでも有名。戦後の麻雀ブームを牽引した伝説の麻雀士である。
超難関な役満「九蓮宝燈」を超早あがりした伝説的雀士!
第3回モンド名人戦予選第13戦ではオーラス(親番)役満の中でもあがるのが難しいとされる「九蓮宝燈」をわずか8巡目でツモ上がったほか、四暗刻の上がりが抜きん出た人物。またイカサマにも精通した。
戦後麻雀を広めた先駆け的人物「小島武夫」
出典-https://ameblo.jp/nijinoie1/entry-12386957857.html
小島武夫「プロフィール」
享年82歳(1936年2月11日 – 2018年5月28日)
福岡県福岡市博多区出身。
戦争を経験し、中学卒業した後は、パン屋で働くも仕事帰りには雀荘に行っていたそうです。
19歳になると雀荘で住み込みで働き始め、時にはイカサマを見抜くなど実力を磨いた。
抱いた女は数え切れないなどと自身の著書で書いていますが、26歳の時、同姓していた女性とできちゃった結婚。しかし翌年には不倫相手と駆け落ちし東京へ向かいます。
東京都神田にあった雀荘「アイウエオ」で働く中、1967年、日本麻雀連盟主催「東京牌王位戦」へ出場し優勝、さらに常連客の紹介でライターとしても活躍、そして転機となったあの伝説的番組「11PM」で小島武夫さんの名は瞬く間に広がりました。
麻雀漫画「哲也」のモデルとされている小説家の阿佐田哲也さんと出会い、「麻雀新選組」を結成、第二の麻雀ブームを作ったとされています。
数々のテレビ番組に出演し、テレビでの知名度は桜井章一さん以上かもしれません。
長く糖尿病で苦しみながらも生涯麻雀士として活躍されました。
数々の麻雀伝説も…
伝説的な「九蓮宝燈」を超早あがり!!
第3回モンド名人戦予選第13戦のオーラス(親番)でわずか8巡で九蓮宝燈をツモ上がった。九蓮宝燈は生涯で5回上がっており、その内2回は公式戦。公式記録に残る初めての九蓮宝燈は、こちらでご覧頂けます↓
九蓮宝燈5回は世界記録かも…
役満「九蓮宝燈」とは?!
九蓮宝燈(ちゅうれんぽうとう)とは、麻雀における役のひとつの役満で、「1112345678999+あがり牌」の形。
九蓮宝燈(ちゅうれんぽうとう)は、萬子(まんず)限定の役満とするルールの方が認知されています。
しかし、現在は色の制約はなくなってきており、萬子・筒子・索子いずれでも認められているらしいので、昔に比べたらあがりやすくはなっています。
九連宝燈であがれる確立は、0.00045%。牌を配り終えた時点で役が成立する究極の役満でもある天和の確立が 0.000076%とされていることから、天和の次にあがりにくい役満といえます。
まとめ(あとがき)
深夜で見ていた麻雀番組は、「THEわれめDEポン – フジテレビ」と小島武夫さんの麻雀番組。
昔は、なんなんだか地味なおじさんだなーと思っていました。
麻雀に詳しい友人から「小島武夫ってすごい人なんだぞ!」と教えられてから、小島武夫さんの動画などをよく見るようになったのも思い出の一つです。
雀荘を数多く経営しては潰れ、借金王とも呼ばれた。また、麻雀以外のギャンブルも大好きだったようで、女と博打好きという昭和の男そのままな破天荒な九州男子。
このような男がまた一人去っていくのは、昭和世代の人には寂しい限りですね。
心よりご冥福をお祈り致します。
好きなことを極めて生きていく!最高の人生だな…