昔のパチンコ店で働いていた社員の待遇は、今のパチンコ店で働く従業員とは全く違いました。社員だけどほぼ全員が元ヤクザやヤンキー。そして犯罪者まで…。
私が大学時代にバイトしていた1991年~1994年。そして、パチンコ店で社員として働いた1998年の1年間の給料や待遇を晒します。
昔のパチンコ店の給料手取り20万円!寮費も食事も無料…

昔のパチンコ店の給料は、手取り20万円です。寮費も光熱費無料。食事も無料で、タバコもジュースも無料…。さらには、ボーナス年2回(1回で20万円で年40万円)。これが昔のパチンコ店員の給料と待遇です。
今とは違って、新台入れ替えは年2回程度で、これぞ新装開店。新装開店の前日は20時に閉店。アルバイトの学生にも大入袋(5千円~1万円)が渡され、飲み会です(笑)。
もちろん全て無料。1次会が居酒屋で2時間、2次会のスナック、3次会がカラオケ。4次会が信じられないかもですがピンサロ。5次会が海で花火でもしとけ…(笑)。
全て無料で、しかも4次会のピンサロで貰ったお金が余って5千円位持ち帰り。5次会の花火には行きません(笑)。
そんな事がなくても、常に無料の飲み会多数…。店長のおごりや社員のおごりで週2回くらいは飲み明かす。無料で遊べた最高の学生時代です。
正月、お年玉3万円も元ヤクザさんから貰った記憶も昨日のようです(本当に怖いけど、めちゃくちゃ優しい)。
しかし、今では法律で定められた社会保険や厚生年金はありません。つまり、社員でも現在だと待遇の良いアルバイトです。

生活費が完全無料!手取り20万円でボーナスも…

社会保険、年金なしだからの好待遇ね…
実録!大学時代の神奈川県伊勢原市「パチンコFUJI」での社員たち…
私が東海大学の学生時代(その後、家庭崩壊で退学)。週6日バイトしていた1991年。
働いていたのは、神奈川県伊勢原市の駅前にあった「パチンコFUJI」。社員は、ほぼ全員が訳あり人間な感じでしたが、皆優しくて良い人ばかりでした。
社員男性は、鑑別所や少年院を出てきた10代達が多く、父親がヤクザな同い年、神奈川県の暴走族「元相州連合」の人が社員として働いてました。
画像の通り、現在閉店しており、駐車場になっています。ここに、小さなパチンコ店「パチンコFUJI」がありましたが、かなり出る店として有名。平日の夕方でも満席で通路にサラリーマンが空台を探して交通渋滞なほど…。
「パチンコFUJI」での実情を晒します…
授業が終わると東海大学前駅から伊勢原駅へ。バイト先の「パチンコFUJI」に着くや、更衣室で制服に着替え、食堂で仕事前に賄いの食事です。
当時は全く気にもしてなかったけど、今思えば在日朝鮮人系の女性かな?という感じの方が食事を作ってくれました。
めちゃくちゃ優しくて、食事もめちゃくちゃ美味しかったです。私は夕方からのバイトなので、仕事前の食事だけでした。当然ですが、社員もバイトも昼と夕方の食事が無料です。
ここのパチンコ店の社員寮は、徒歩圏内にある民間のアパートで無料。もちろんも光熱費もただです。
アパートだけど、そこそこ良いアパートで、何度も飲み会に行きました。
新装開店の度に、飲み会。大入り袋で5千円も貰えました。そして、2次会~4次会まで。当時主任だった小川さんにピンサロまで奢って貰った記憶が懐かしい…。
しかも4人分…。「余ったら海で花火でもしてこいよ!」という格好いい捨て台詞で5万円貰い、厚木駅前の「カサブランカ」というピンサロへ。かなり有名なピンサロだったらしく皆可愛くて綺麗な20代の女性が3回転…。
30分で8000円×4人=32000円。残り18000円を4人で分け1人4500円を貰い終電で帰宅…。
1次会の居酒屋で4000円、2次会のバーで3000円、3次会のカラオケで3000円、4次会のピンサロで8000円。手土産のお小遣いが4500円。合計22500円分になります…。

新装開店で2万円以上の待遇…

普段から全て奢りで毎週だったわね…
横浜市「本牧モナコ」社員で年収400万円
社会人の1年目は、神大寺にある横浜病院の職員でしたが1年で辞め。藤沢市にあった日本で初めてのビジネスホテル「法華俱楽部」も1年で辞め…。
元々は教職員になりたかったのに、やりたい仕事ではなく、常に病んでた若い頃。そして、マンションの家賃も払えず路頭に迷います…。
フロムエーの求人誌で募集していた横浜市本牧にある「モナコ本牧」へ1998年頃(たぶん)に、年末12月目前で駆け込み面接。そして、即採用。
横浜市の本牧にあったアパートの寮費も光熱費無料。食事は、昼食と夕食が無料(勤務外でもOK)。タバコ1箱、ジュース2本無料。たぶん、これだけでも10万円…。
本牧モナコ時代は年収400万円!退職金もありました…
台湾系オーナーが「お前らに月30万は払ってるんだから真面目に仕事しろ~~」と言ってたので月総支給30万で間違いない。
手取り20万円だけど、生活費用が全て無料。何も払う事もない完全なお小遣い20万円。さらに、年2回のボーナス20万円で年間40万円。退職金も1年だけなのに、20万円。すごい優しさを感じる在日パチンコ店です。
月総支給が30万円×12=360万円に、年2回のボーナス40万円で年収で400万円です!
ぶっちゃけ、超真面目なら1年で貯金350万円が現実的に可能でした。10年で3500万円、20年で7000万円…。
社会保険や厚生年金はないけど…。しかも、残業も休日出勤も100%皆無です。
新装開店なども含めて度々行われた飲み会。ほとんど無料でした。
本牧モナコがあるビルの上にあった「カラオケ歌広場」。本牧モナコのテナント店ゆえか、かなりのサービスでした。
元祖家系ラーメンで有名な「吉村家」の次男である吉村雅紀さんに仲良くして貰った記憶も最高です(今で大親友だと思っています)。

本牧モナコ閉店がえぐいニュースです…

金持ちエリアの本牧で潰れるっつて…
まとめ
昔(2005年位まで)のパチンコ店の社員の給料は、月手取り20万円。賞与年2回で40万円。生活費が全て無料で年収400万程度でした。
社会保険や厚生年金はなく、完全に個人事業主、というか超好待遇のアルバイト。
アルバイトの時給は900円~1000円程度。2025年現在のパチンコ店での時給と比べれば激安ですが、賄い(食事)無料でタバコも無料。
新装開店では、大入袋がもらえたり、週2~3回は、社員や店長のおごりでスナックや寿司屋、カラオケやボーリング…。
もう、本当に昔のパチンコ店の社員は訳あり人間のみ。お怖いけど超優しいパンチパーマの根本さん、夏木ゆたかに似てるけど本人は福山雅治に似てると言い張る榎本さん。
東海大学で留年7年の競馬マニア(引退レースのオグリキャップの当たり券=7万円を換金せずもってた)のバイトに、部屋代滞納20万円を貸したサウナ好きの小川さん(主任)。
社員も幹部も在日朝鮮人や台湾人だったな~と今では思います。当時は情報時代ではなかったので、パチンコ店ってヤクザ経営者だと思ってました(笑)。
現に当時は客としてヤクザが常駐してたけど。めちゃくちゃ可愛がれました。
今と違うのは、社会保険と厚生年金。寮費や食事が無料もあるかもだけど、タバコ無料とかは100%ないね。
今じゃいっぱしの企業(会社)として経営してるから、訳あり人間も入れてないかな。そもそもパチンコ店自体が訳あり会社だったから。今でもだけどね…
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