昔のパチスロ機種では、大当たり状態を教えてくれる告知は一切なく、大当たりのフラグが立てばリーチ目が出現する仕組みです。そこで、リーチ目を拾いまくった実話を紹介します。
当時のパチスロ台で大量のリーチ目が空き台に!?
現在のパチスロでもリーチは存在しますが、最終的には完全告知。昔のリーチ目は告知もなく、代表的なものから超マニアックなものまで様々ありました。
1990円代は、パチンコやパチスロの人気が急上昇。日本国民の娯楽として認知され、仕事帰りにちょっとだけ遊んで帰るサラリーマンも多かったです。
パチスロでリーチ目を拾いまくった実話(2件)

パチンコ店のスロットコーナーで、リーチ目やATを拾いまくった実話を2つ紹介します。
時は、私が新卒で就職した公務員を1年で辞め、ホテル「法華倶楽部」に転職した23歳の頃(1996年)です。住んでいた場所とパチンコ店は、神奈川県藤沢市になります。
「ニューパルサー」のリーチ目を拾いまくった実話
「ニューパルサー」のリーチ目を拾いまくったパチンコ店は、仕事帰りや休日によく打っていた神奈川県藤沢市にあるパチンコ店「グリーン」です。
こちらのパチンコ店「グリーン」は、現在でも営業しています。グランドオープンは、1995年頃だったと思います。
当時は、東海大学の4年生。付き合っていた彼女が藤沢市に住んでいた為に引っ越した(大学3年の時)青春時代の思い出の場所です。
パチンコ店「グリーン」の開店時のオープニング曲が、スキャットマン・ジョンの楽曲「スキャットマン」。当時は、かなり最先端なパチンコ店で、店員も全員可愛くて超人気のパチンコ店でsちあ。
「ニューパルサー」は、1993年に山佐が開発・販売したパチスロ機。山佐初の4号機でパチスロ全盛期を作った超人的ヒット機種で、1000通り以上ある超大量リーチ目機種としても有名でした。
元の「パルサー」は、1980年4月に、風営法が作られた以前の0号機時代から存在する歴史あるパチスロ機種です。
仕事帰りに少しだけパチスロを打ってみよう…。こんな感じのOLやサラリーマンも多かった時代です。ネットも無い時代で、頼れるのはパチスロ雑誌のみの時代。
リーチ目なんかも知らない人も多くパチンコ店に足を運んだ時代は、今となってはありえないし、もう二度とないパチンコ店の全盛期です。

出典-https://ameblo.jp/airj92/entry-12612679309.html
ニューパルサーの代表的なリーチ目でもある「BAR、BAR、7」の一直線揃いも何度か拾いました。※上記画像は、ニューパルサーSPⅡのものです。
これは、初代ニューパルサーから2025年6月に導入予定の「スマスロニューパルサー」まで定番のリーチ目です。
ニューパルサーの島を少し徘徊するだけで、何度かリーチ目を見つけ、ボーナスを消化。ほぼ毎日の様にお小遣い稼ぎの毎日でした。
当時は、現在の様に小冊子なども無く、パチスロ機の筐体に一部リーチ目が載ってあるだけでした。
7絵柄とBAR絵柄の一直線の並び、チェリー絡みで左右リールのボーナス絵柄テンパイ、右リール下段チェリー付き7絵柄停止などは、多くの遊戯客に知られたリーチ目ですね。
しかし、「ニューパルサー」のリーチ目は1000通り以上あるんです。
枠上、枠下(どちらも役成立対象にはならない箇所)で、どんな絵柄が停止しているかで、通常何の変哲も無い絵柄の停止状態でもボーナスフラグが立っているというマニアックなリーチ目も沢山あって、それらが捨てられている台を頂くという事も多かったです。

出典-https://ameblo.jp/so-ya-sinmatudoten/entry-11568148129.html
既に当たっている状態なので、あとはボーナス絵柄を揃えるだけ…。ジャグラーで言えば、GOGOランプが光っている状態と同じことです。
まさに、お金が落ちている事と同じですね。
中には、マニアックなリーチ目だけでなく、上段BARが左中リール停止、右リール下段チェリー付き7絵柄停止の鉄板リーチ目や一直線BARと7絵柄の並びという超絶鉄板リーチ目も拾った経験もあります。

バーバー七の一直線を拾った事も…

当時、何の知識もないOLとかもスロットを打ってわね…
「グランキーコンドル」でリーチ目を拾いまくった実話
クランキーコンドルのリーチ目を拾いまくったのは、神奈川県藤沢市にあるパチンコ店「HAPPY(ハッピー)銀座店」です。
「HAPPY(ハッピー)銀座店」は、2015年に閉店。駐車場を経て、今は、病院や塾が入るビルになっております。

1995年に登場した「クランキーコンドル」。完全に子役を取るDDT打法とBIG中にリプレイ外しを行うことで取得枚数を上げらられた伝説の攻略機種です。
設定1でも機械割が105%。これ、現在で定番の人気機種「ジャグラーの設定6」にも近い数値なんです。
適当打ちの設定1は、95%の機械割。当時7枚交換が主流だったので、設定5(104%)や設定6(107%)も多かったです。
ちなみに、完全攻略だと、設定1(105%)設定2(108%)設定3(111%)設定4(114%)設定5(115%)設定6(115%)。

出典-https://ameblo.jp/desperate-mans/entry-12157745571.html
もう、気づけば誰もが左リールに青七を狙い、中リールに青7テンパイでボーダーライン確定の作業…。
ですが、当時は、仕事帰りのOLもスーツを身にまといながらスロットを打って帰宅する人も多かったです。うーん、バブルの名残かな…。

青7と赤7の一直線も拾いました…

仕事帰りに少しだけパチスロを打つOLも多かったわね…
アラジンマスターのアラジンチャンス点灯状態を拾う!!
神奈川県藤沢市中心部にあった「フォーラム」(閉店後にゲームセンター、現在は肉汁餃子の店「肉汁餃子のダンダダン 藤沢店」)での出来事です。

出典-https://ameblo.jp/nobnob731/entry-10021959897.html
今から20年前のパチスロ機種「アラジンマスター」。アラジンチャンスでお馴染みのアラジンシリーズ第3弾のパチスロ機です。
この機種は、初代アラジンとスペック的には似ているのですが、一番違う点は「アラジンチャンス」を知らせるところです。
シングルボーナスが頻発すれば、アラジンチャンスに突入し、いつパンクして終わるか分からない。
そんなハラハラドキドキな感じがたまらなく人気だった初代アラジン、そして3代目のアラジンマスターです。
この店は地下1階と2階建てになっているパチンコ店でしたが、地下にあるスロットは7枚交換で2階にあるスロットは等価交換というスタイルでした。
2階にある等価交換のパチスロ「アラジンマスター」を打っていました。そこに、70歳くらいのおじいさんが1000円だけ打って帰っていきました。
1~2分後、何気なくおじいさんが打っていた台を見てみると、アラジンチャンスが光っているではないかーい。
もう、おじいさんは既に帰っていません。完全な空き台状態です。
これはと、台移動。有りがたくアラジンチャンスを頂きました。2000枚ほどの交換だったと思います。約4万円を難なく頂けたのは有りがたかったですね。
初代アラジンやアラジンマスターは、いわゆるCタイプというスペックなパチスロ機。この当時はAタイプがほとんどでしたので、こんな美味しい思いが出来たかもしれません。

アラチャンが光った状態で空台に…

ありがとうしかないわね…
まとめ(あとがき)
今日は、リーチ目、ATを拾いまくる話をしましたが、実は現実にあった出来事の一部でしか過ぎず、話はまだ有るのですが、話が似たりよったりになるので割愛しました。
当時のパチンコ、パチスロは、現在の様にダラダラとしたスペックでは無い上に、パチンコ店の雰囲気も良く、仕事帰りや待ち合わせの時間潰しでも利用していた客がいたので、そんな美味しいリーチ目も拾えたのかもしれません。