大学生のパチンコ需要は激減!東海大学前駅近くのパチンコ店の体験談…

1990年代、国民の娯楽として認知され老若男女から愛されたパチンコ。当時の大学生は、モーニングを取りに一限目の授業をサボってまで毎日パチンコ店へ行ったものです。しかし、現在は大学生のほとんどがパチンコをしなくなっています

  1. 昔と今の大学生におけるパチンコ需要について知りたい人
  2. 東海大学前駅周辺のパチンコ店の偏移について知りたい

この様な方の知りたい情報に向けて書いた記事の内容になっています。

この記事を書いた運営者(プロフィール:ギャンブル犬)

ギャンブル歴30年以上で元パチプロの運営者が書いています。パチンコ(パチスロ)、競馬、競輪、競艇、オートレース、宝くじ、カジノ、麻雀など全てのギャンブルを経験。

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現在と昔の大学生のパチンコ需要を実体験からお伝えします…

時は2025年。すっかり業界自体がなくなるのではと思う程にパチンコ人口は激減。私が、大学生の頃は、授業をさぼり留年してまでパチンコに没頭する人も多かったのですが。

今回は、私が大学時を過ごした東海大学前駅の現在のパチンコ店と昔のパチンコ店の様子をお伝えします。

東海大学前駅を紹介します

こちらは、神奈川県秦野市にある「東海大学前駅」です。

小田急小田原線にある各駅停車駅です。

東海大学前駅のパチンコ店(1991~1994年)

1991年~1994年当時、東海大学前駅から徒歩5分もかからないアパートに住んでいました。。

オレンジ色の辺りが当時住んでいたボロボロなアパートがあった場所です。

そして、1991年(大学1年当時)に東海大学前駅付近にあったパチンコ店は、全部で5店舗ありました。以下が当時のパチンコ店です。

  • ニュー大根 東海大学駅前店
  • ナイス東海
  • パチンコセブン(777)
  • ジャパンニューアルファ東海大学前店
  • パーラーOK

※パーラーOKはもう少し下だったと思います。訂正は「パーラーOK」に記載してます。

ニュー大根 東海大学駅前店

1980年頃に開店したとさ超レアで香ばしい昭和ながらのパチスロ専門店。画像左の茶色い建物が当時「ニュー大根 東海大学駅前店」があったビルです。

多くのファンに惜しまれながら2022年6月30日で閉店されました。現在はビルも改築され「Bar Elen」という飲み屋さんになっています。

右側のローソンは、当時は個人の酒屋で、上は「養老乃瀧」でした。カラオケだけは、そのまま残ってますね。

この「ニュー大根 東海大学駅前店」での思い出は、まさに青春時代そのものです。

パチスロ専門店とされていますが、当時は1シマだけパチンコ台も置かれてました(誰も打たないけど)。

今では考えられない事ですが、コインの貸し出し機械は1つだけ。つまりお客さん全てが1つのコイン貸し出し機械から借りるというシステムでした。

当時は、スーパーバニーガール、セブンボンバーなどのスロットを打ってました。換金率は7枚だったと思います。

ナイス東海

東海大学前駅近くにあった「ナイス東海」。一番オーソドックスなパチンコ店でした。現在は、「キコーナ東海大前店」となっています。

ここで良く打ったのは、初代のニューパルサー、当時当たれば横に向かって光が走るチェリーバー。初代のアラジンなどのスロット。

そして、羽根物も1通路あり、マジカルカーペットやブンブン丸、少しレアですが「OL娘Ⅱ」なども好んで打っていました。

夕方からは、スーツを着たサラリーマンで大賑わいのパチンコ店でした。

パチンコセブン(777)

東海大学前駅のメイン通りにあった「パチンコセブン(777)」。今は、アパマンショップになっていあmす。

大学2年の時に、1993年に登場した「ファイナル」(奥村)という羽根物の様な一般電役を打ったら、僅か1回転で大当たり。そして、47連荘で7万発(約17万円)を一撃で出した思い出があります。

店内は、演歌が流れていたりもして、癒される空間。また、当時でもレアだった雀球というパチンコ台(コインを入れて吐き出しもコインだけど、中身はパチンコ)もありましたね。

スロットは、コンチネンタル(初代)の1機種のみ。BIGボーナス後は店員を呼んでリセットしてもらう感じでしたね。大当たりのデーターは、数字が書かれた札を店員がめくるという今では考えられない仕組みでした。

ジャパンニューアルファ東海大学前店

入学当初はなくて、1991年か2年に出来た「ジャパンニューアルファ東海大学前店」。

当時は、斬新で最先端のパチンコ店でした。2階に上がるのにエレベーター(階段もある)というのも珍しかったですね。

なんと言っても、羽根物のイベントが凄かったです。何というイベントか忘れましたが、馬鹿みないな釘調整で無限に出てしまう台を抽選で打てるというものでした。

通常では4000個で打ち止めなのですが、その台だけは終日無制限。なんと、ビックシューターでも1箱4000個のドル箱が10箱も出てしまうんです。

アレジンのモーニング狙いで、毎日の様に開店待ちしたのを思い出します。

2階は、スロットでしが、コンチⅢを打っていた記憶があります。

パーラーOK

東海大学前駅から東海大学へ向かう途中の坂道にあった「パーラーOK」。赤い部分辺りにあったと思います。また、オレンジ色の部分には、小さな昭和のゲームセンターもありました。

ネットで検索してもどこにあったのかなど情報が皆無です。

1階がパチンコで、2階がパチスロでした。

パチンコでは、羽根物「マジカルカーペット」をよく打ってました。イブニングサービスとして、夕方に店員が手入れでⅤ入賞させてくれたのも思い出です。

また、スロットでも「ミラクル」というビックの差枚が変動する当時では斬新だったスロットを打ってました。当時7枚交換でしたが、夜8時頃から爆裂連荘で5000枚出した記憶があります。

また、当時はどこのパチンコ店でもそうだったかもですが、景品が大きくて、7万円分の景品だと小さな段ボール箱に入れられて…。

現在の東海大学前駅周辺には何店舗?

現在の東海大学前駅周辺のパチンコ店は、「キコーナ東海大前店」のみです。

「ナイス東海」のあった場所で、建物自体も30年以上変わらず…。

設置台数もパチンコが206台、スロットが192台と合計398台しかない小さいパチンコ店です。1パチと5スロもありますね。

つまり、1994年の5店舗から1店舗と80%のパチンコ店がなくなったという事になります。

まとめ(あとがき)

青春時代を過ごした東海大学。住んでいたのも東海大学前駅周辺。毎日の様にパチンコ店に行っていた学生時代。

当時5店舗あったパチンコ店が、現在では1店舗。しかも小さい店が1つだけ。大学生はおろかサラリーマン、主婦、ご老人たちにも需要がないという事なのでしょう。

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